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昨日の続き。
そして3年の時が過ぎました。
ある日彼から電話が来ました。
「がんが転移してでっかくなってるってよ。今回はずっと入院になりそうだ。
どれくらいかわからないけど数ヶ月以内に死にそうだからお見舞いに来てよ」
文字に起こすと暗い感じになりますが、実際は非常にかる~い感じで話をしてました。
友人たちに連絡をとり、一緒にお見舞いに行きました。
その中には薬品会社の研究員と看護師さんがおりました。
病室に入ると開口一番、
「よく来たな。とりあえず最後まで楽しみたいから、来月宿貸し切ってみんなで遊びに行こう。肝臓の数値がちょっと高いらしいけど、なんとか出かけられるように医者には行っておくからさ」
そういうと肝臓の数値が記載されている表を薬品会社の友人に手渡しました。
薬品会社の友人は
「ちょっと数値が高いみたいだね。でも教官なら元気になりそうだから遊びにいけるね」
その後30分くらいたわいもない会話を続けて楽しんでから、あまり長居しても疲れてしまうため病室をあとにしました。
病院のロビーに来たところで、突然看護師の友人が泣き崩れてその場にうずくまってしまいました。
彼女は言いました。
「あんな高い数値は見たことがない。普通だったら良くても昏睡状態で普通は亡くなっていてもおかしくない!」
薬品会社の友人も、
「生きているのが奇跡としか言いようがないくらい悪い数値だった。世界でも数例の事例しかないかもしれない。数値が下がらなければ数日以内に亡くなってしまうと思う」
と。
でも教官は無敵でした。
とにかく最後まで遊びたかったのでしょう(笑)
約1ヶ月後、奇跡的に肝臓の数値を下げて外泊の許可をもらい、みんなで楽しくくだらない話で盛り上がる一晩を過ごしました。
しかしその3日後
奥様が聞いた最後の言葉は
「今日は早く寝るわ。おやすみ」
穏やかに息を引き取りました。
葬式は150名収容のところ、なんと250人もの人が来ました。
北は岩手、西は福岡、友人だけで約200名。
友人の年代も10代後半から70代まで、60代の人の交友関係とは思えないレベルです。
皆さん言われたのが
「教官と一緒にいると本当に楽しかったわ~」
奥様と子どもたちは逆に
「こんなにもたくさんの人が来てくれて、あの人は幸せもんだわ~」
亡くなって数カ月後、奥様から教官の話を聞くと
「本当に弱音を吐かない人だったなあ」
とのことでした。
大変な事があっても、全て「なんとかなるよ~」と言われて乗り越えたこと。
がんになっても本当に一言も弱音を吐かなかったそうです。
うまくまとめられなくなってきましたが、
無敵メンタルを持っていた友人が、
自分も幸せ、みんなも幸せ、
そんな大人に
自分もなりたい。
というおはなしでした。